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What's Puerto Rican Baseball?

 〜プエルトリコ野球の強さの要因を知るにはプエルトリコの首都(厳密には国ではないので首都ではないが、以下ここでは便宜上国として扱う)サンファンのルイス・ムニョス・マリン空港に夜到着する飛行機に乗り着陸前に眼下の街並みを見渡してみればその一端が見えてくるだろう。そこには昼間は目立たなかった野球のグランドが照明のあかりに照らされて街のあちこちに浮かび上がって見えるはずである。〜

 メジャーリーグだけでなく日本でもプエルトリコの選手が数多くプレーしている。しかしそのプエルトリコについては日本にいる限りなかなか知る機会が無い。そこでプエルトリコの野球について簡単にその歴史・背景・現状などを紹介したいと思う。

 カリブ海に浮かぶプエルトリコはアメリカ合衆国の準州という位置付けであり正式な州ではない。プエルトリコ国民は全員アメリカのパスポートを持ち使用する紙幣もドルであるものの、話す言葉はスペイン語で現在でもスペイン占領時代のカリブ(クリオージョ)文化の流れをひくものも多い。しかし今日では商業・文化はアメリカの影響を大きく受けておりスポーツに至ってもほぼ同様である。盛んなスポーツは人気のある順に、野球、バスケット、ボクシングといったところで、特に野球に関しては伝統、競技人口、地元スター選手、テレビ放送などのおかげで国技として認められている。

 プエルトリコで初めて野球が行われたのは1896年。キューバに駐在していた軍人やアメリカに留学していた学生達によってサンファンで最初の試合が行われたと文献には記されている。その約40年後の1938年に(当初はセミプロとして)プロ野球のリーグ戦が開催され今日まで至っている。1942年にはプエルトリコ人として初めてイラム・ビソーン(今シーズン、エクスポズが試合を行う球場の名前になっている)がメジャーリーグでプレーし、ロベルト・クレメンテ、オーランド・セペーダを経て現在でも多数のメジャーリーグ選手を送り込んでいる。

 さて、何故これほどまでにプエルトリコ人は野球に熱中するのであろうか?プエルトリコ人のスポーツ記者に質問してみたところこういう答えが返ってきた。「まず、アメリカに大きく依存していること。それから身体的な特徴も関係しているだろう」。前述の通りプエルトリコはアメリカの一部であるため、本土から遠く離れているにもかかわらず衛星放送・ケーブルテレビなどを通してアメリカのテレビ番組はもちろんスポーツ中継もほぼ見ることが出来る。そこでアメリカの4大プロスポーツに関してプエルトリコという観点から少し考えてみる。まず年中熱帯の気候であるプエルトリコではアイスホッケーは自ずと選択肢から外れる。アメリカンフットボールはプエルトリコ人(ラテンアメリカ人)には環境・道具・ルールなどいろいろな意味で少し難しい。それからプエルトリコ人は身体的に中肉中背の人が多く背が高い人や極端に瞬発力のある人は多くない。従ってプロバスケットという点からはすこし遠のいてしまう。その結果野球に興味の的が向いてきたのであろう。

 次にプエルトリコの野球リーグについて説明する。プエルトリコにはアマチュアリーグとプロリーグがある。アマチュアは伝統的に3つのクラスがありクラスAA、クラスA、クラスBに分けられていた。そして現在では年齢・レベルなどを基準にかなり細分化されているが最高レベルの組織としてAAの流れをひくプエルトリコアマチュア野球連盟(FBAPR)のリーグとアマチュア野球中央協会(COLICE-BA)のリーグの2つがある。FBAPRはオリンピック委員会の一部でありこのリーグから国際大会に送り込むナショナルチームが選ばれる。COLICE-BAは毎年プエルトリコのアマチュアNo1を決める全国レベルでのトーナメントを開催している。プロのリーグはウィンターリーグとも呼ばれ11月から1月にかけて行われる。ここにはプロを目指す若手選手のみならずメジャーリーグ選手も参加している。6チームで各チーム約50試合のリーグ戦の後、上位4チームのトーナメントでチャンピオンを決め優勝したチームはカリビアンシリーズに出場する。

 と、ここまでは一般的な紹介で、自分で書いていても面白くもなんともない記事になってしまった。そこでここからはプエルトリコ人のナショナリズムという観点からこの国の野球、特にウィンターリーグについて述べてみたい。

 単にウィンターリーグと呼んでしまえば冬に行われるリーグ戦になってしまうが、そこにはこの国ならではの隠された意味がある。まず最初に「ウインターリーグでプレーする意義には何があるのか?」という質問から始めてみよう。プレーする目的としては、ここで活躍をしてメジャーのスカウトに認められステップアップを望む者、冬場の体調・体重などコンディションを維持する者など色々あるだろう。しかし一番の意義は地元選手が地元でプレーするというところにあるのではないかと私は思う。ドジャースのアレックス・コラは毎年のように冬には地元に帰って地元チーム(カグアス)でプレーしており、ダイヤモンドバックスのカルロス・バエルガにいたっては自分でチームを買いオーナーになってプレーしている。またNYなどアメリカ各都市に移民が多いのもこの国の特徴で、例えばマリナーズのエドガー・マルチネスはNY生まれだが両親はプエルトリコ人で子供の頃はプエルトリコで育った。1980年代中ごろから90年代中ごろにかけてはオフにウインターリーグでもプレーし89〜90年のシーズンには打率.424で首位打者を獲得、 95年にはプエルトリコ代表のいわゆるドリームチーム(*)の一員としてカリビアンシリーズを制している。現在でもオフには毎年島に帰ってきておりプエルトリコ人達の中ではエドガーは完全にプエルトリコ人であり彼もアメリカ人として扱われるよりもプエルトリコ人として扱われた方が何倍も喜ぶはずである。他にもメジャーリーグ選手でウィンターリーグには参加しないがオフは島に戻って過ごす選手は多い。今オフもロイヤルズのカルロス・ベルトランは人口数万人の地元に帰って自主的に野球教室・トーナメントを開き、またレンジャースのフアン・ゴンザレスも刑務所を訪問し囚人と交流していた。それからラテンアメリカ人は人を呼ぶときに愛着を込めてあだ名で呼ぶことが多い。例えばフアン・ゴンザレスは”イゴール”と呼ばれ、ジャイアンツのホセ・クルスは”チェイート”と呼ばれる。子供達もサインを貰うときにはあだ名で選手を呼び選手もそれにこたえる。こうやって言わば”出稼ぎ”に行っているメジャーリーグ選手が地元に帰ってファンと非常に近いレベルで交流し、少年達の憧れの的となって結果的に競技人口を増やしている ところもこの国が野球に熱中する大きな要因の一つともいえる。

 ではなぜプエルトリコ人はそうやって島に戻ってくるのであろうか?まぁ暖かいところで過ごすという目的もあるのだろうが、実際のところはその心は一つだろう。ひとえに島が好きだからである。この島、この国を愛しているからである。ラテンアメリカ人は自国へのアイデンティティを国旗で表現することが多いがプエルトリコ人も例外ではない。毎年NYではプエルトリコ人によるお祭りが行われるが、その日は街のあちこちでプエルトリコの旗が振られているの見た人も多いだろう。野球選手に至っても同様でこういうエピソードを紹介したい。今オフ、ブルージェイズのカルロス・デルガド主催のメジャーリーグ選手によるホームラン競争のイベントがあった。フアン・ゴンザレスやエドガー・マルチネスなど主力選手が来ていたのだが彼らが球場入りする際、多くの選手は胸に”PUERTO RICO”と書かれていたり、プエルトリコの国旗がデザインされたTシャツを着て車から出てきた。もちろんこれは支給された物ではなく自主的に着ているのである。こういう愛国心の表現は日本人ではちょっと理解しがたく、例えば日本人選手がオフに日本の国旗のデザインされた服を着て過ごす光景は到底イメージできない。このように自国への愛着心が非常に強くそれをモチーフとしているからこそ、メジャーの何万人という観衆に慣れた選手でもウィンターリーグで地元の球場の2〜3千人という観衆の中でプレーすることが出来るのだろう。そしてカリビアンシリーズで自国のユニフォームを着ることに栄誉を感じるのだろう。

 最後にプエルトリコ人メジャーリーグ選手の現状について少し触れたい。最近のプエルトリコ人選手の最盛期は1995年にカリビアンシリーズで優勝したときだということはおそらく異論がないだろう。今このメンバーでナショナルチームを組んでもかなり豪華なメンバーである。しかしこれらの選手もそろそろ引退が迫ってきており契約が難しくなってきている。エドガー・マルチネスは今年が最後になるだろうと公言しているし、フアン・ゴンザレス、ロベルト・アロマーも来年以降の契約は難航しそうである。現にイバン・ロドリゲスにいたっては今オフ日本のチームとの契約も噂された。このように今まさにプエルトリコ人選手は世代交代の時期を迎えており次のスターの出現が早く望まれるところである。しかし超スター級といえる選手はまだ出てきておらず、地元紙にも若手選手にはオフのウィンターリーグに積極的に参加し経験を積んで過去のスターが辿った道を早く歩むべきだというような内容の記事が載っていた。これはプエルトリコ国民全員が心から望んでいることに違いないと私は思う。

 以上簡単にプエルトリコの野球について紹介した。2003年はエクスポズの試合がサンファンで22試合行われる予定で、日本人にもマスコミを通してプエルトリコをより身近に感じることが出来るだろう。その際、新たな視点でプエルトリコ人選手を見る、あるいは接することが出来る手助けになれたのではないかと思う。

 (*)95年ドリームチームのメンバー:カルロス・デルガド(C)、カルメロ・マルチネス(1B)、ロベルト・アロマー(2B)、カルロス・バエルガ(3B)、レイ・サンチェス(SS)、フアン・ゴンザレス(LF)、バーニー・ウィリアムス(CF)、ルベン・シエラ(RF)、エドガー・マルチネス(DH)

 (この記事は、メールマガジン・サークルチェンジに記載されたものに少し手を加えたものです。)